第1回:幕末から明治維新の混乱 ― 武家の世の終わり

小泉八雲とセツ
スポンサーリンク

長く続いた武士の世

江戸時代は二百六十年以上続いた「武士の世」だった。武士は政治を担い、農民は田畑を耕し、町人は商いや職人の仕事に励む。

身分ごとに役割が決まっていて、時に窮屈ではあったが、その秩序が長い平和を支えていた。

庶民にとっては戦の心配が少なく、日々の暮らしが守られていた時代でもあった。

黒船来航と開国の衝撃

けれど十九世紀半ば、遠い海の向こうから大きな波が押し寄せる。1853年、ペリーの黒船が浦賀に現れたのだ。

開国を迫られた幕府は迷い、国の内外で賛否が渦巻いた。不平等な条約が結ばれると、西洋列強の強さを目の当たりにした人々の間に、幕府への不信が広がっていった。

薩摩や長州などの有力な藩では、若い武士たちが立ち上がり、幕府を倒そうとする動きが勢いを増していく。

日々の生活に苦しむ人々

その影響は庶民の暮らしにも及んだ。金銀が外国に流れ出し、物価は急に上がった。米や必需品が手に入りにくくなり、農村や町にはため息があふれる。

さらに地震や飢饉が人々を襲い、江戸や大坂では仕事を失った人々が町をさまようようになった。かつての安定した暮らしは、少しずつ崩れていった。

倒幕運動と内乱の広がり

一方で、志士と呼ばれる若い武士たちは、開国か攘夷かをめぐって激しく議論した。時には命を懸けて戦い、時には仲間同士で刃を交える。

京都の町は騒乱に包まれ、新撰組や尊王攘夷派が入り乱れ、血の雨が降るような日々が続いた。

その中で庶民は、不安と恐れを抱えながらも、どうにか日常をつなぎとめていた。

戊辰戦争と江戸城無血開城

やがて1867年、大政奉還によって幕府は政権を朝廷に返上。翌年には鳥羽伏見の戦いが始まり、戊辰戦争へと広がっていく。

江戸城は戦火を免れたが、会津や函館では激しい戦いが続き、多くの命が失われた。

戦いの果てに新政府が勝利し、武士の時代は終わりを告げる。明治の世が始まったが、それは決して華やかな幕開けではなかった。

特権を失った武士や、藩に守られていた人々は暮らしの基盤を失い、路頭に迷う姿があちこちで見られた。

昨日まで「武士」と呼ばれていた人々が、突然「ただの人」とされる――そんな急激な変化に、多くが戸惑い、苦しんだ。

近代化への歩みを早める

それでも人々は新しい時代を生き抜こうと、もがきながら前を向いた。

失われた日常の隙間を埋めるように、日本は近代化への道を歩み始めていく。

その混乱と空白を埋めるように、日本は近代化への歩みを早めていく。

タイトルとURLをコピーしました